呼びかけ文

長田誠司


「合意形成」というコトバを聞いたときに、ぼくのなかにふと拡がったのは灰色で重く硬い感じでした。

それは、権威や予定調和に支配された会議室での堅苦しいプロセスであったり、そうやって決められた合意事項を書面に落として後生大事に守り抜くことであったり、その合意事項によって創り上げていくものや現場での行動の可能性を狭められてしまう窮屈さであったり、合意したはずなのにちゃぶ台をひっくり返される理不尽さを思い起こしたからです。

そもそも、合意形成しようとするとき、ぼくたちは、なにを目指して、なにを期待しているのでしょうか?

しばらく時間をかけて考えてみて、合意形成に期待することとして、次の2つがぼくにとってはとても大切な要素なのだということが分かってきました。

  1. ひとりではできないことを誰かと一緒にするために、なんらかのアクションに向けて、具体的なアクションプランなども見据えながら、夢やヴィジョンなどを共有する。
  2. それと同時に、自分と他の人の想いやお互いの影響を気にかけながら、未来を創造するための関係づくりをする。

では「合意が形成された」状態というのは、どういう状態のことをいうのでしょうか?

ぼくにとっては「合意が形成された」状態というのは、共通の方向を指し示すコンパスが関わった人たちの胸のなかに宿る象徴的な瞬間を経ていて、漕ぎ進む方向がわからなくなった時に見るコンパスのようなものをみんなが持っている状態であるという漠然とした印象があります。

しかし、合意した時の夢に満ちたすがすがしい感覚は、必ずしも持続しないというのも経験から知っています。コンパス自体が故障して機能しなくなることもよくあることです。いつのまにかぼくの持っているコンパスと他の人が持っているコンパスが違う方向を指し示しているということも往々にしてあります。

ここに来て「合意形成」とはなんなのか、ふたたび分からなくなってくるのです。

時を経るにつれて、世界やぼくたちを取り巻く現実は刻々と変わっていき、アクションを重ねることで、合意した時には分からなかったことが分かってくると、人の想いも変わってきます。当然、想いが変わるのだから合意を取り直す必要が出てきます。 理想的な状況を考えるとき、『合意⇒行動・変化⇒ずれ⇒合意⇒行動・変化⇒ずれ⇒・・・』という完結することのないプロセスが思い浮かびます。

そうすると、合意形成とは終わることのなく動き続けるなんらかのターゲットを追い続ける漸近的なプロセスで、固定された合意した状態というのはあり得ないのではないか?そして、夢やヴィジョンのような抽象的なレベルでの合意、そこに進んでいく準備段階で現実に落としていくときの合意、具体的なアクションを地道に重ねていく段階での合意、レベルや時間的経過、個人的な立場などで、いろいろな合意があるのではないか?と思うのです。

合意形成というものについて確固とした合意がないなかで、ぼくたちはどう合意形成するのか?

ひとりひとりの生活にすごく関係がありそうで、合意形成という営みはすごく大切ななずなのに、ぼくたちはそれがなんなのかよく分かっていない。

こうやって考えてきて、ぼくたちの未来を創るのに役立つ合意形成について、なるべく多くの人と一緒に、このことについて探究してみたいという想いが強くなってきました。

みなさんの「合意形成」はどんなものですか?

このコトバを意味あるものにするために、このコトバが指し示すものの可能性が最大限に発揮されるように、みなさんの存在が必要です。

いろいろな視点からの多様な声を聴きたいです。ぜひいらしてください。話しましょう。

長田誠司


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